先日発行したメールマガジンで、情報が氾濫してその全てを処理できる人間はいない時代に入っている、ダイエットが必要だという内容を書きました。いずれバックナンバーページに載ると思います。
メルマガではどちらかというと、「情報の受け手として、どんな考え方を携えて情報の大海に対峙したら良いのか」という観点で書きました。
その上で、今回の記事では逆側から、つまり情報発信をする側について少し書きたいと思います。
結論から言えば、自ら情報を出して顧客接点を持つのは当たり前として、
- 企業内には一定レベル以上の日本語力と言葉の感性を持った「情報発信の種」となる人間を育てる、あるいは採用することが必要
- それをどう幅広く適切な人に届けるのかについては、専門家の力を借りるか、あるいは余裕がある企業ならそこも8割程度は自前で行っていくという切り分けがお勧め
であり、さらに根本的に言えば、日本語が大事だという感覚を経営者・幹部層が持っていないと、企業の発展には大きなブレーキとなるということです。
「どんなやりとりをしたか」がブランドになる
インターネットが存在しなかった時代、人々が自然と出会える企業は、今と比べるとかなり少なかったですね。いわゆる有名な企業とだけしか、知り合えませんでした。
それが今や、ひとたび検索をすれば一瞬にして、ごまんという企業に出会える時代です。
それにより、何が変わるでしょうか。
例えば人々は「無名でもいいサービスや自分に合った商品を提供してくれるところはあるんだな」と感じるようになります。
あるいは「たくさん提供元があって良く分からないから、企業自体は明らかに怪しいような所じゃ無ければいいや、商品とかサービス自体で判断しよう」とも思うようになります。
もちろん業界によっては、特にB2Bではブランドの強さはあります。製造業ですとか建築系ですとか、動くお金が大きいところは特にそういう傾向はあります。例外はいろいろあるかと思いますが、全体の傾向としてはそうです。
こういった状況の中で、人々が「評価」を行う時最も分かりやすく、かつ、人に伝えやすいのは「やりとり」「対応」の品質です。というか、それ以外の要素で評価できないとも言えます。
Webで言えば「コンテンツ(集客・見込み客フォロー)」と「問合せ対応」、その後の「顧客化フォロー」の部分です。
よく「買い手に対して差別化するためにはユーザー体験が重要だ」「ユーザーエクスペリエンスに目を向けることが効果的だ」といったことを耳にします。
しかしそれはむしろ出発点としては逆の話で、実際は「買い手はすでに体験の中でしか評価できなくなっている」「だから、そこに力を入れざるをえない」と。
※これはあくまで購買の中の「体験」の話であって「アクティビティを売ろう」といった体験を商品とする話とは違います。
日本語の能力が問われる
そしてこの時大事なのは日本語能力なのです。具体的には「日本語の文法」「言葉にまつわるニュアンスへの理解」そして「言葉に対する美的感覚」です。
インバウンド市場が盛り上がっていることもあり、外国語/他言語対応が注目され動くお金も大きくなっています。
とは言え、基本的に国内企業の第一のお客さまは国内です。日本語でのコミュニケーションです。
そしてここで重要なのが、いわゆる「日本語のセンス」です。
違和感がある・不自然な日本語が想像以上に多い
商売柄、いろいろなコンテンツを読みますし、チェックもしています。そうすると内容は同じような物なのに、引き込まれる物となんだか胡散臭く感じる物に出会います。
何が違うのだろうと思うと、私はこれ日本語のセンスのレベルが非常に大きいと感じています。
(そう思ってから、私は『記者ハンドブック』や類義語・国語辞典を見ながら書くようにしました(それでも誤字脱字などあり恐縮です))
コンテンツがあふれているからこそ、きっちりした日本語で書かれた物はアドバンテージが大きいです。なぜなら、読みやすく伝わりやすいからです。
例えばどんな物?
例えば以下の様なコンテンツを目にします。
- タイトルがいかにもSEOのキーワードを意識していて不自然
- 真面目に書いているが「てにをは」レベルでおかしい
- ターゲットは分かりやすく嚙み砕いた内容を求めているのに、難しい物を難しいまま書いてしまっている
- スタッフの教育も兼ねているという言い訳で、分かりづらい記事を量産している
これらは百害あって一利なしです。
SEOについては、キーワードをタイトルにねじ込んでそれで順位が上がったとしても(相変わらず内部要因としては大事ですので)クリック率は下がるでしょう。なぜなら情報過多の時代、分かりづらい記事は読まれないからです。
ユーザー体験を加味していると言うことがすでに一部で公になっていますから、その観点でも、離脱されてしまう記事はSEO的にマイナスですね。
「てにをは」は、そもそもの話ですね。日本語的におかしい文章は頭に入ってきません。頭に入ってこなければ、その人が「動く」こともありません。「人を動かす」ことができなければマーケティング成果は望めません。
それ以外の2つは、3つ目は専門職に多いですね。自分の頭の中と読み手の頭の中が違うことを意識せずに、書きたいことを書いてしまうようなケース。
4つ目はWeb系の会社に多いです。大義名分としては「お客さんにコンテンツを出すことを進めるなら、自社でもコンテンツを出す能力を上げないと」という理由だと思います。しかし、練習を表に出す必要があるのか?というのが正直なところです。
デザイナーとライターを、きちんと一家に一台揃えるのがベスト
今のコンテンツがとても大事な時代の先を読むように、こっそりと一部の企業はライターとデザイナーの囲い込みをしていました。今の時代を見据えてのことです。
ライターさんは、今まで紙媒体を中心に職業としては存在していましたが、求人市場にはあまりいない状態でした。なので、不足するのは目に見えておりました。
従いまして、これは経営者に、先見の明があったと考えるべきかと思います。
人材が様々な理由で確保できない場合は「育てる」一択
人材確保できなかった場合は、社内で育てることをお勧めしています。
なぜなら、
- 外注などをしたとき、きっちり仕事をしてくれる人を探すとかなりの金額になること。
- 安さを求めると、リサーチもせず訪問もせず、すぐに手に入る情報だけでそれらしい物を仕上げるような層しか集まらない
からです。
そしてそもそも、
「会社の姿と動きを翻訳して外にアウトプットするという作業に、最も適しているのは会社にいる人間」
ですよね。なぜなら肌感覚で潜在意識のレベルで会社を理解しているからです。
コンテンツの品質は、営業面だけではなく採用や内部組織の士気にも関わりますから、とても重要な問題です。言いかえると、競争戦略だけではなく組織戦略に大きく影響します。
終わりに
言い訳のようですが、私は日本語の作文が苦手です。
昔の職場で日本語の塾を研修で受講したとき、最初の提出課題の点数は10点満点中2点でした。はい、赤点ですね。また、受験の際の某通信教育の小論文の点数は、これも最初の1回目、100点満点中18点でした。
それが今、それなりに文章を書けていて、一応出版の話も通る程度になっているのは、単純に書いては読み返し、世に出しを10年以上続けてきた「慣れ」と、幸い本を読むこと自体は好きだったせいだと思います。
つまりは、インとアウトの千本ノックで、誰でもできるようになるはず。もともと書ける人ならなおさらです。
後は添削はいいですね。私もお客さんのコンテンツ添削致しますが、みなさんどんどん上手になられるので凹みます。
…
話は逸れましたが、大事なことは「日本語を大事にしよう」ということですね。きれいな日本語を書けるように私も精進しなければと思います。
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